おごりと焼肉と私。

「漢字間違えた!給付金を貰わない発言した!」など、どうでもいい首相叩きが過熱化していますね。
…あ、どうもお久し振りです、あんこです。

突然ですが、いきなり目上の方から「何が食べたい?おごるよー」と言われたら何と答えますか?
私は相当親しい人でない限り、ファミレスの格安ランチですね。夜だとしても、ファミレスかラーメン、うどん屋。特に「おすすめの所に連れて行くよ~」とでも言われない限りは絶対にそう答えます。
よく、内心では「おごり?!やったー食いまくるぞ」と思ってついて行く、というご意見をリアルでもネットでも見るのですが、全く理解出来ませんね。異世界の住人に見える。
何故なら、思うがままに飲み食い出来ない状態で何を食べてもちっっともつまらないからです。どんなに気を使うなと言われても、まともな一般人ならそんなに親しくない人に気を使わない訳がない。食べ物とお金の恨み程、怖い物はないですからね。というか、うっかり気を使わなかったりしたら他の人間に「昨日あいつにおごるって言ったら高い店連れて行かされて高い物頼みまくられてさー、礼儀知らずだと思わない?」って陰口のネタにするんじゃないのか、ええっ?!とついつい勘ぐってしまう。

焼肉

こんな私なので、仮に大好きな焼肉屋におごりで連れて行かれた時は悲惨の一言に尽きます(ただし、家族やマサル君の場合は遠慮なしなのでむしろ狂喜の沙汰)。
普段なら焼き上がり次第真っ先に取りますが、おごり主や他の参加者の目を考えると三歩どころか十歩下がってしまい、「あ、お肉焼けましたよ~」と周りに声をかけたり、あまつさえ肉焼き係まで自然にやってしまう。
ご飯も頼めない。焼肉とご飯を一緒に食べるとどうしてもご飯が焼肉のタレによって汚く染まってしまう為「うわぁ」という視線に晒されがちですし、その上どういう訳かおごる人間もメニューを頼む人間もご飯は無視して頼む率が非常に高い。私一人が空気を読まずに頼む訳にもいかず、しょうがないので泣く泣く諦めます。
また、ビールやチューハイの空き具合もつい観察してしまい、「あの~飲み物追加しますか?」などと適度に聞いたりする係までかってでる。こうなると各係とも宴の最後まで責任を持つハメになり、放棄は許されない空気となります。当然、役割に集中する為にお酒はほとんど飲めない状態。
こんな疑心暗鬼と奉仕の精神で気が休まらない訳がありません。結局、深い後悔のまま「おごり」は終了してしまいます。

断っておきますが、こんな事をするのは別に私が世話好きなイイ人だからじゃありません。本当は逆で、やれるものなら肉は焼けた物からほぼ全て自分の皿に取り上げてすかさず食らいたいし、その際にはタレと油の染みたご飯と一緒に頬張りたい。好みが別れる為に敬遠されがちなレバーやホルモンなどの内臓類も忘れず注文して焼きまくりたい(どういうわけか、「私レバーとかって絶対ダメ~!カルビと野菜しか食べれないー」という女はどんな集まりにも呪いのように存在する)。
ビールだって回りにおかまいなしに頼んで最低大三杯は飲みたい。つまみにユッケを頼むのもいい。キムチは白菜のだけでは物足りないから大根やきゅうりのも食べたい(キムチなんて一種類でいいじゃんという空気がおごりの場ではありがち)。
そして終盤になったら、冷麺やクッパかビビンバを〆として食べ、吐きそうなくらいお腹いっぱいになったらレジでお会計後にガムをもらい、幸せな余韻に浸りながら帰路につく。これが私の理想的な焼肉です。…付き合わされる人間はたまったもんじゃないと思いますが。

要するに、私は意地っ張りなくせに人一倍意地汚く食欲旺盛なのです。好きな食べ物は、誰の目もはばかる事なく心ゆくまで味わい尽くしたい。それが焼肉や寿司、レストランの料理などいつもとは違った特別な(なおかつ興奮度の高い)料理なら、尚更。
おごりはおごられる側より、むしろおごる側を立てる為に存在しているのでは、とすら考えてしまう今日この頃。

肉じゃがを誇れない世に誰がした?

唐突ですが、私は肉じゃがが好きです。好物です。
単品でもご飯のお供でも万能選手、そして栄養価も高いバランス食。
子どもからお年寄りまで好かれている、まさに日本の味だと思います。

が、しかし。
最近、回りの痴れ者達のせいで、堂々と「肉じゃが好きです」とか「作るの得意」と言えなくなりました。特に、得意料理だとか絶対に言えなくなった。だって、変な噂が怖いから。
料理雑誌などで「肉じゃがで男を落とそう☆」などというおぞましいプチ特集があったり、そういう特集で勘違いした『「普通」に反抗するのが生きがい』の男女が何故か得意気に「ぶっちゃけ肉じゃが嫌いだし。んなメシのおかずにならねーのより肉焼けよ」「肉じゃが?ダサいし。好きな男いないって。ワタシそんなの鵜呑みにするほど頭悪くないの」などと薄ら笑いを浮かべたり。
本当に嫌いならいいけどさ。何かそういうのとは違う言い方をするんだよね、こういう方々って。大抵、引っかかる言い方をしている。かと思ったら、素直に本気になって「肉じゃがで釣れるんだ」とせっせと覚える女が出てきたり…(まあ、今はあまりいないでしょう)。

俗に、「肉じゃがで男を釣る」などという偏見が世の中でまかり通っています。また、「肉じゃがで家庭的アピールする女はキモイ」などとも。
確かに、そういう意味で「肉じゃがは得意料理」とか言う女はキモイですよ。あざといし。まあ、私個人の意見としては全然詳しくないくせに「ロックとか、意外とそーゆー音楽が趣味なんです。私ってオトコっぽいから」と男の気を引こうとしてアピる女の方がもっとたちが悪いと思いますが。

ただね。私は純粋に肉じゃが好きなんだよ!作るのも大好き。だから、変なアピールする気なんかこれっぽっちもないっつーの!

それを馬鹿なマスコミや一昔前の女が肯定的にも否定的にも変な思い込みを垂れ流しおって!責任取りやがれ!!バンバンバキッ!!!(←机を叩き壊した音)

大体やつらは、肉じゃががいつどこから発祥したのか知らないんだろうか。
元はといえば1880年代大日本帝国時代の海軍発祥の料理。家庭に肉じゃがが普及したのは戦後のことで、それまでは海軍の艦上食としてしか作られていなかったし、肉じゃがが初めて料理本に載ったのは1938年発行の海軍厨業管理教科書!
つまり、肉じゃがは元は根っからの熱血男料理なのだ!
それを、勝手に家庭的アピール女の舞台装置にまで格下げさせやがって!おかげで自意識過剰な女流作家(林さん。あなたですよ)に『くたばれ!肉じゃが女』という小文の題材にまでされ、文中で「肉じゃがや味噌汁をあくせく作る女はダサいし重い。おしゃれなイイ女はワイングラス片手にきれいな洋食作んなきゃ」という主張を好き勝手させる羽目に…。雑誌を鵜呑みにする人達はどの世にも存在するから、さらに勘違いした人は増えたであろう。

まあ、確かに作る姿は所帯じみて見える。出来上がっても、外見は「オシャレ」「イケてる」とやらとは無縁だろうし。人目を気にする人間からすれば、そういった部分はどうしても許せないんだろう。
料理一つとっても棲み分けが必要な時代になってる。ああ、面倒臭いな~。
でも、コレだけは言わせて欲しい。肉じゃがは男を釣るためにいいとか、そんな浅い料理じゃないって事。そして簡単に出来ておいしいって事。私が主張したいのはそれだけ。この意見が認められるなら、キモイ扱いされてもいいよもう。

好きな百人一首の歌

大分前に話したかもしれませんが、私は一応文系大学で日本文学などを勉強しています。そのせいか、仏教と日本文学には少し詳しいです。
和歌だけでも結構幅広い分野があるのですが、その中でも好きなのは平安時代の和歌。奈良時代など初期の和歌の方が直接的で力強いなどという評価も数多いですが、私としては技巧と直情のバランスが程よい平安和歌の方を贔屓してしまいますね。小倉百人一首の撰者・藤原定家の時代である鎌倉時代は、技巧に走りすぎの観があってちょっと好きになれないかな。
そういうわけで、百人一首の歌と言ってもここでは平安時代に作られた和歌を中心として紹介します。

逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし
 

作者は中納言朝忠。ちなみにこの人の娘は、後に藤原道長の正室・倫子の母となってひ孫の皇子の即位まで見ています。
この歌を意訳すると、こうなります。

あなたと会って、愛し合うことが一度もなかったのならば、 かえってあなたのつれない仕打ちも、 私の身の不幸も、こんなに恨むことはなかったでしょうに。
あなたと結ばれてしまった今となっては、この苦しみにはとても耐えられそうにありません。


深いです。私の勝手な解釈を入れるとするなら、本気でこういう事を思っておらず、本当はそれでも一緒になれてよかったと感じつつも弱音がぽろっと出てしまったのではと感じています。だからこそ、こんなにも胸に響く作品になり得たのではないでしょうか。
あと、個人的に共感する歌も多くあります。
例えば、この歌。

あひみての 後の心に くらぶれば
むかしは物を 思はざりけり


作者は権中納言敦忠。今で言うイケメンの遊び人だった模様。
この歌を意訳すると、こうなります。

ゆうべあなたと結ばれた後の、今のこの苦しさにくらべたら、 付き合いたい結ばれたいと思っていた頃の恋の辛さなんか、何も物思いをしないのと同じようなものでした。

遊び人に教えられるのも正直ムカつきますが、気持ちは分かります。付き合う前も結構想ったものですが(そこ、笑うな!)、その後の想いに比べれば浅いものだったと実感しています。
あと、他にもこの歌に共感。

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほ恨めしき 朝ぼらけかな

 
作者は藤原道信朝臣。この人は23歳という短命で亡くなっています。
この歌を意訳すると、こうなります。

夜が明けてしまっても、やがてまた日が暮れればあなたに会うことができると、 理屈ではわかっています。
それでもやっぱり、わたしには、 夜明けは恨めしく思われます。


これは現代でも理解する人は多いのではないでしょうか?楽しい時間ほど、あっという間に過ぎ去ってしまうような気がして、それで惜しむというのは古今東西変化しないと思うのです。
あと、この歌も心に残りました。

君がため 惜しからざりし 命さへ
長くもがなと 思ひぬるかな


作者は藤原義孝。この人も短命で、21歳という若さで病没してます。ただ、唯一の実子・行成はこの後道長の右腕として活躍した上、書道の世界では「三蹟」の一人として名を残してます。
この歌を意訳すると、こうなります。

あなたを知る以前は惜しくもなかった我が命でしたが、あなたと結ばれてから変わりました。
これからはあなたのために長生きをしたいと思います。


短命で終わった事を思いつつこの歌を読むと、すごく切なくなるのです。

…何か、長くなってしまいました。いつもの事ながらすみません。

餡子を月に連れてって。

「月を題材とした歌は、古今東西、時代をも超えて必ず売れる。
人は意識的にしろ無意識的にしろ、月とは深い繋りがあるのです」

とある高名な音楽家が、ラジオで語った言葉です。
さもありなん。
私自身、月という題材に心惹かれている一人なので、ついつい力強く頷いてしまいます。

数ある月の歌の中で1、2を争うほど好きなのは「Fly Me To The Moon」という歌です。
高校時代に友人から題名も知らされずに聞かされて以来ずっと気になっていた歌で、最近マサル宅で観たエヴァンゲリオンのエンディングテーマでその名をやっと知りました(宇多田ヒカルが歌っているのが一番好きです)。
歌詞を和訳すると、こんな感じです。

私を月に連れてって 
星たちの間で遊ばせて
木星や火星の春がどんな風か見てみたいわ
言い換えるなら、手を握ってほしいの
言い換えるなら、キスしてほしいの

私の心を歌で満たして
私は永遠に歌うわ
私が待ちこがれるのはあなただけ
あなただけを崇拝し敬愛してるの
言い換えるなら、真実であってほしい
言い換えるなら、あなたを愛してます



…大胆ですねえ(苦笑)。とてもロマンチックです。
けれども、20年以上数々の音楽家から愛されてきた歌ですから、心の奥底では誰もが共感しているんじゃないでしょうか。ただ、照れくさいだけで。
この歌が発表された年は、アポロ11号の月面着陸が間近だった希望あふれる時代だったので、なおさら受け入れられたのでしょう。
あと、この曲を聴くと南イタリアの伝承を思い出します。
「満月の夜の女は、いつもの女とは違う。
普段では考えられないほど美しく大胆になり、
してはいけないことをしてしまうのだ」
…してはいけないことって、アレの派手バージョンってことでしょうか(笑)。もしくは、不義密通とか(古っ)。酒乱や破壊工作とか(ありそう)。
北イタリアでは狼男が人を食うという伝承がありますが、私は南イタリアのほうが好きですね。人間的だし、人は死なないし…月に一回くらい、羽目はずすくらい許してもいいじゃないかと、女に甘い私はそう思ってしまうのです。

クレオパトラについての考察

ムスカの考察が最初の草稿の10分の1も書けないことに苛立ってきましたので、気分転換に前々から気になっていたクレオパトラについて考察してみようと思います。

プトレマイオス王朝最後の女王・クレオパトラ。彼女の美貌(同世代の歴史家には「見る人を驚かす程の物ではなかった」と書かれているが)・莫大な富・神がかった逸話は多くの人が書き残しているし、私はそれらにほとんど興味が無いので、今回検証するのは「本当に彼女は女王に相応しい知性を持っていたか」という一点のみにしようと思う。

一般に彼女は、とても知性的な女性だったと言われている。
確かに、頭は良かった。歴代王の中で庶民の言語を解したのは彼女一人であったし、その他にも7ヶ国語操れたと言う。そして頻繁に訪れたという、70万巻もの蔵書をもつ巨大な図書館を備えたムセイオンでの読書で幅広く身につけた知識。簡単な読み書きしか教えられなかった当時の女性たちの中では、まさに一、ニを争うほどのIQを誇ったことは間違いない。
しかし、ここで改めて主張したいのは、学力=知性とは一概に言えないということである。その証拠に、学力NO1であるはずの某大学出身や某政治家たちの中で知性ある振る舞いをする人間は皆無に近いではないか。
私は、彼女には次の知性が欠けていたように思えてならない。
「現状認識力」と「本質を見抜く力」、そしてそれらをするのに不可欠な「冷静な思考力」である。

1、「現状認識力」欠如の根拠
当時のエジプトはローマの同盟国であったが、それはエジプトに力があったから独立できていた訳ではなく、この地域独特の統治方法にあった。すなわち、「神の子」が民を支配しなければならないという何百年にもわたるエジプト民たちの意識である。わざわざ王政を打倒して属州にし、「人間の子」であるローマ市民を総督に据えて余計な反発をくらうよりは、彼らの納得する統治を王にやってもらい、その王を管理する方が長期的平和に現実的という元老院議員たちの判断があったからに過ぎない。それに、同盟国ならば内政と自国防衛の為の出費もしなくてすむ為、経済的でもあった。そんな思惑だけで、彼らの王政は成り立っていたのである。
ところがクレオパトラは、そうは思わなかった。自分たち王と富を恐れてのことと、勘違いしてしまっていたのである。そして、この「自由に踊っているつもりが踊らされていた」状態を見るどころか最後の最後まで分かろうとしなかった事が、プトレマイオス王朝滅亡の最大の理由であったのでは、と私は考えている。実際、一同盟国として満足していたならば、迎える必然性も無かった滅亡だったからである。
2、「本質を見抜く力」欠如の根拠
彼女の全盛期の時の愛人であるローマの覇者・カエサルが暗殺された時に公開された遺言状に、彼女自身やカエサルの間の子であるカエサリオンについて全く記述されていなかったことが彼女を絶望と怒りに駆らせたという史実が残っている。その時のコンプレックスか、後に既に結婚していたアントニウスであったのに自分と二重結婚させ、アントニウスとの間に生まれた子供たちも嫡子と認めさせたりしている。
しかし、彼女は分からなかったのであろうか。愛人のままで息子も認知しない方が、クレオパトラの末永いエジプト王位の為には一番良かったと言う事実が。
何といっても、エジプトの存亡を握るのはローマ市民である元老院や後の初代皇帝(カエサルが指名していた)アウグストゥスである。彼らを刺激しないことが、その気になればいつでも軍事制覇の出来る風前の灯である王朝存続の、最大の鍵だったのである。
確かにアントニウスは、クレオパトラを熱愛した。最期も彼女の膝の上であることを望み、そのまま果てた。しかし元老院の反応も考えずに簡単に二重結婚をし、後先見ずに戦乱を起こしていったアントニウスよりは、親子の安全と平和を考えて行動したカエサルの方がクレオパトラを尊重し、より深く愛していたのではないであろうか。
だが、結局分かりやすい愛情しかクレオパトラは見ようとしなかった。表面に現れない深い愛情より、目に見える感情的な愛情を選んだ。
私も正直、悩むところはある。これはもう、全ての女の課題であるのかもしれない。
3、「冷静な思考力」欠如の根拠
知性の欠如、と言うよりはむしろ狂っていたとしか言いようの無いエピソードがある。
アントニウスのアレクサンドリアでの凱旋式である。
凱旋式はどこでもやればいいと言うものではない。ローマの神々のいる首都の丘にある神殿で感謝の祈りを捧げ、丘を降りたらローマ市民達に「凱旋将軍万歳!」と正式に認められることにこそ凱旋式の真の意味があったのだ。ローマ市民がいて、彼らを守護する神々が住まう地・首都ローマでないと、挙行する意味がない。この情報はローマ市民の感情を逆なでし、半エジプト感情を過半数に押し上げた。
もし彼女がローマ固有の文化に対抗するつもりで挙行したのなら、相当の愚挙としか言いようがない。そして、それに賛同して実行したアントニウスも「肉体どころか頭まで獣並」と市民達に侮辱されても仕方がない。他国の文化を理解はしなくても尊重する事こそが、知性の証だからである。
その上アントニウスは、ローマに何の許しも得ずにローマの属州の大半をエジプト女王クレオパトラの所有にし、何と同盟国も与えると宣言した。そしてローマの元老院にはカエサリオンもカエサルの嫡子なのだからアウグストゥスの地位を分けるべきである、したがってローマを東西二分にしろという文書を元老院に送りつけた。
元老院議員たちはあまりの事に呆然としていたが、アウグストゥスは冷静に「エジプト属州化の為に軍を発動」と決めて行動した。
こうして、クレオパトラは自らの手でわざわざ破滅を招いたのである。

私にはどうしても、彼女に一国を背負う覚悟も度量も、ましてや知性があったようには思えない。
一人の女としてはなかなかの人生ではあったと思うが、このような女王を持ったことはエジプトにとって災難以外の何者でもなかったと考える。

しかし、彼女の人生で、私が唯一好きなところがある。
アウグストゥスへの誘惑を諦め、毒蛇にかまれて死ぬところだ。
当時のローマは寛大路線が敷かれていたため、殺されることなくローマの一地方でのつつましやかな年金生活が待っていたであろうのに、彼女はその生を否定し、女王として死ぬ事を選んだ。
その潔さが、悲しくも美しいので、何となく救われる。

プロフィール

あんこ

Author:あんこ
・性別:女
・趣味:読書、料理、ゲーム
・一言:食と本をこよなく愛してます。
・特に意欲的に再現中の漫画:
 …『姉のおなかをふくらませるのは僕』
 …『美味しんぼ』
 …『クッキングパパ』
 …『紺田照の合法レシピ』
 …『酒のほそ道』
 …『じったんの時短レシピ』
 …『鉄鍋のジャン!』
 …『なんちゃって駅弁』
 …『華中華』
 …『花のズボラ飯』
 …『まかない君』
 …『ママの味♥魔法のおかわりレシピ』
 …『みをつくし料理帖』
・再現料理を予定中の漫画:
 …『浅草人~あさくさびと~』
 …『鬼平犯科帖』シリーズ
 …『銀の匙』
 …『拳闘暗黒伝セスタス』
 …『スイーツ本部長一ノ瀬櫂』
 …『旅のグ(2)月は知っていた』
 …『テルマエ・ロマエ』
 …『土曜日ランチ!』
 …『BAR・レモンハート』
 …『百姓貴族』
 …『ぶたぶた』シリーズ
 …『ベーグル食べない?~幸せカフェごはん~』
 …『飯盛り侍』
 …『夢色パティシエール』


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※ただ、ご質問を頂いた際はなるべくお力になれるよう、すぐご返答できるように対処致します。

 応援して下さる方々に少しでも楽しんでご利用して頂けるよう、沢山の作品に触れるちょっとしたきっかけになれるよう、これまで以上に心掛けていきます。
 恐れ入りますが、よろしくお願い致します。

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